インタビュー・東京支部選手一覧
PROFILE
1986年5月に多摩川でデビューの58期生
水神祭は3カ月後の大村
通算Vは93回、SGは94年住之江グラチャンでV
G1は3回のVがありすべて多摩川での優勝
1967年3月3日生まれ 身長164cm 体重52㎏ 血液型A型
大幅に勝率を下げてA2級落ち。当時の心境は
あの時は本当に調子が悪かったし、訳が分かりませんでした。調整がうまく合わなかったのが一番の原因だと思います。自分が思ったようなレースができない歯がゆさがあっても、「ここが辛抱のしどころだな」、と考えていました。ところが次の期もあまり調子が良くなくて、「もうこんなものなのかな?」と諦めの気持ちになり始めていました。それでも、期の最後にうまく優勝できて、「もう1回頑張らなきゃ」と思ったきっかけになりました。それからは、とにかく気持ちを切らさないようにはしています。もう若い時とは違うから、ペラを叩いても腰が痛くなるし、そういうことには気をつけてはいます。でも、今のところ致命傷になるような痛みはありません。その点は強い子に生んでくれた両親には感謝してます。
追配出場から始まったSG初制覇と多摩川への思い
(93年ウェイキーカップでG1初優出初V)あのG1は追加でした。それでエース機を引いて、確かギリギリで18番目に準優に乗って、最後にはたまたま優勝しちゃったって感じです。イケイケだった?そんなことはないですよ。ただ、翌年の総理杯(SG初出場)で優勝戦に乗れた時も、「あ、これでまたSGに出られる」、って気持ちの方が大きかったです。無我夢中でやっていたらSGも優勝(94年住之江グラチャン)しちゃったっていうのが本音です。何も分かってないで無我夢中で、エンジンが出て成績が良ければ楽しかった。取るとか取らないとかそういう感覚はなかったと思います。一番レースをするのが楽しかったころかもしれないです。
G1を取ったのは多摩川しかないから不得手とは言えないです。足を向けて寝ることはできないし、他場を走る時より頑張らなきゃなって思っています。(多摩川通算V17は歴代トップ)それはそのうち抜かれるんだから。でも、つかの間の1等でもいいよね。うん、気分的には悪くないです。
速攻派としてスタートへのこだわり、今後の目標
スタートを遅れても勝てることはあるけど、やっぱり速いのを行った方が勝てる確率は高いから、それは肝に銘じて走っています。ただ、エンジンの性能も昔と違っているし、周りのスタート技術のレベルも上がっているから、他を出し抜くようなことは年々難しくなってきています。
自分はリニア新幹線が開通するまで選手をやっていようという目標を立てていたんだけど、今のところリニアの計画が頓挫しちゃっていますね。100Vまであと7V?まだ7つもあるのか。頑張らないとね。全場制覇もあと一つ(残りは芦屋)だけどそれもあまり気にしていません。芦屋を走る時も「優勝できればいいな」くらいにしか思っていないです。割と流れに任せる派だから、あまり肩肘張らずにやっているのがいいのかもしれません。